読書から被る"損害"について

大体本をたくさん書く人というのは、同じようなことを何回も書いてるもんです。

音楽も同じで、よほどクリエイティビティに富んだ一部のアーティスト以外はまあ大体毎回同じような曲を書いています。別にそれを否定するつもりはありません。ファンならば自分の好きなアーティストに自分の好きな作風を持ち続けて欲しいし、アーティストのほうでも下手に冒険をしてファンが離れていくよりは同じような曲調の曲をつくっていたほうが儲かります。ここで、ファンとアーティストの間に一種の共犯関係のようなものが成立するわけです。重ねていいますが、僕がこれは悪いことだとは思いません。そして、アーティストにそういった図式からの脱却を求めるつもりもありません。もちろん新しい表現を求めて冒険的な表現を模索することはいいことだとは思いますが。(かならずしもアーティストと楽曲のクリエイターとが同一性を帯びた人物あるいは集団ではないとか、そういう議論はひとまず置いておいてください)

どうもこれは良くないなと思うのは、行きすぎた網羅主義といおうか、「ファンならすべての作品を聴いていて当たり前」という考え方が(一部の)ファン集団のあいだに蔓延しておることです。

「すべての作品を聴いておかなければファンとはいえない」という言論そのものが、僕には威圧的な調子を持っているように思えてならないのです。しかし前段指摘したように、ファンとアーティストとはある種の共犯関係から似たような曲調の作品を再生産し続けることになるので、「すべての作品を聴く」という試みはかなり浪費的なものにならざるを得ないわけです。しかしまあ、音楽の話であればそうした言論から人々が被る被害はさほど大きくはないといえます。時間的にも金銭的にも、それに伴って生じる損害はさほど大きなものにはならないと思われるからです。(ビートルズのように厖大な楽曲数がある場合はそうともいいきれない部分はありますが)

しかしこれが本のこととなればかなり話はかわってきます。本を一冊読もうとすればかなりの時間がかかります。はやい人でも新書一冊読むには1時間はかかるでしょう。無論もっとはやく読める人もいるにはいますが、そういう人は一万冊以上読んできたような猛者たちなのでここでは例外とします。音楽と比べて、読書から被る"損害"には甚大なものがあるのです。だから一人の著者が気に入ったからといって、その著者の本を全部読んでみようというのはやめたほうがいいと思います。大体似たようなことが書いてある場合が多いからです。

もちろん、研究者などはこの限りではありません。研究者的な読み方をする人も、ある著者の本を全て読むという読み方をすればいいと思います。結局のところ読み方、聴き方というのは人それぞれですので。