今日感じたこと

どうも根が無精だから具体的なデータや何やらを集めるということが億劫なので、かなり定性的な話になってしまう(そしてこれはおそらくこのブログの記事をこれからさきも否応なく特徴づけていくことになる)と思うのだけれど、今日衛星第一放送(BS1)で日中ジャーナリスト対談という番組をやっていた。これには田原総一朗さんも出演されていて、田原さんが出るなら見ようかということで見ていたのだけれど、なかなか見応えのある番組だった。

その中で、中国のジャーナリストは「中国のジャーナリズムは政府監視の機能を果たしていない」という日本側からの指摘に対して「政府監視というが、日本のマスコミはネガティブなことばかり言いすぎる、中国のマスコミは違う(大筋)」というようなことを発言していた。少しずれた反論というか、反論になっていない部分はあるのだが、日本のマスコミについて言っていることは正しいと思う。


そして、こっちはYouTubeで見たのだけれど、勝間和代さんとひろゆきの討論のようなものをテレビでやっていた。勝間さんはしきりに日本の現状について「若者に起業する自由が与えられていない」「インターネットで匿名のけしからん言説がまかり通っている」とひろゆきに詰め寄るのだが、ひろゆきはのらりくらりとかわしていて、まあ、それはそれで観ているぶんには楽しかったのだが、途中から勝間さんは「日本人の幸福度は相当に低い」ということを主張し始めた。こないだもわりと大きく記事に出ていたこれhttp://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010042802000039.html)なんかを念頭において発言されてたんだと思う。同様の調査でも確かに日本人の実感している幸福度は(OECD加盟国平均に比べれば)低い。

討論が終わって、アナウンサーを交えて将棋でいう感想戦みたいな段になったときに、アナウンサーはふとひろゆきに「自分の幸福度を自分で評価するなら10点満点中何点か」とたずねた。するとひろゆきは「10点じゃないっすかね」と即答した。そのときに、僕の中でピンときた部分があって、ああ、勝間さんはいうなれば「日本のマスコミ」なんだな、と。ベンサムのいうような「最大多数の最大幸福」とまではいかなくとも、「公益性」というような言葉の信奉者にとって、社会に存在する矛盾や不合理な制度は徹底的に排除すべきものとしか映らないのだ。(勘違いしないでほしいのだが、勝間さんのような人を批判しているわけではない。彼女らのような"働き者"がいるから、僕たちはみんな豊かさを享受して生きられるのだ)

実際、社会に矛盾や非合理があればそれは取り除くべきだ。それはそうだ。そして敗北主義におちいってもいけない。今すぐに排除できなくても、いつか排除できる、そう信じて行動していかなければいけない。しかし、それと現状認識とはまた別の話だ。社会に矛盾や非合理があるから、その社会はどうしようもない社会で、そこに暮らしている人は不幸だというわけではない。

ちょっと論理が飛躍したような形になってしまって申し訳ないけれど、日本のマスコミにも日本人の幸福感を低くしている一因はあると思う。それは勝間さんのように「公益性」に仕えようとする使命感から出た行動なので(おそらくだけど)責めることはできないけれど、社会の中にある問題をあぶりだそうとするあまり、常にネガティブなフレーミング(framing)で世の中を眺めることになってしまう。そうしたフィルターを通ってきた情報を受け取って暮らしていると、なかなか幸福感は醸成されにくい。つまり、僕はもっと単純に、マスコミに「庶民の生活」をもっとポジティブなフレーミングでとらえて報道して欲しいと思っている。それは確かに食うや食わざるやの生活をしている人はいるだろう。でも、それはごく一部の人であって、大多数は世界的な水準からいえばはるかに安全で衛生的で文化的な生活を享受しているのだから、そこにもっと光をあててほしい。「幸せなはずの人たち」が、当たり前の幸せを「実感できる」ようにすることも報道の役割なのではないかなと思う。


 /少々主観的なエントリになってしまいましたが、今日「日中ジャーナリスト対談」と「勝間和代vsひろゆき」を見て感じた雑感です。